日清戦争後、帝国主義の波に翻弄されながら日露戦争へと突き進んでしまう日本。
国家存亡かけた戦争が始まろうとする時代の中で活躍する秋山兄弟と、
正岡子規の最後が語られる怒涛の第三巻!

◆あらすじ・内容と読みどころ

秋山真之の成長と海軍戦術の革新
秋山真之は、米国留学を経て帰国後、海軍大学校で戦術講座の初代教官となり、
日本海軍の戦術理論を体系化する。彼の講義は多くの将校に影響を与え、日露戦争では
彼の教え子たちが各戦隊の参謀として活躍する。真之の戦術は、源平時代の戦法や瀬戸内海
の水軍の戦術などを研究し、現代戦に応用したもので、彼が軍人として成長するとともに
日本海軍の近代化が進む姿にはわくわくがとまらない。

正岡子規の最期と文学への貢献
正岡子規は、病床で俳句や和歌の革新に努め、近代文学の礎を築きました。
彼の死は、明治35年9月19日、35歳の若さでした。
子規の死は、彼の友人である秋山真之や高浜虚子に大きな影響を与えました。
虚子が、子規の死を悼んで詠んみました、
「子規逝くや十七日の月明に」

広瀬武夫とアリアズナの純愛
広瀬武夫は、ロシア駐在中に貴族女性アリアズナ・コヴァレフスカヤと恋に落ちます。
彼は、日露戦争で戦死し、敵であるロシア軍によって名誉ある葬儀が行われました。
それほど広瀬の人柄は、敵国の人々にも尊敬されるものでした。

日露戦争への道と国家の危機
日本は、日清戦争後も軍事費を増大させ、国家予算の約半分を軍事に費やすという異常な
財政状況にありました。政府要人の多くは戦争回避を望んでいましたが、ロシアの南下政策
に対抗するため、やむなく開戦に踏み切ることに。
この戦争は、日本にとって国家の存亡をかけたものであり、国民もその重圧を感じていました。

秋山好古のロシア視察と戦争準備
秋山好古は、ロシアの大演習を視察し、ロシア陸軍の圧倒的な軍事力を目の当たりにしました。
彼は、ロシア人の人柄に好感を持ちつつも、いずれ戦場で対峙することを覚悟していました。
この視察は、やがて日本の軍事戦略に大きな影響を与えることになるのでした。

連合艦隊の出撃と仁川沖海戦
連合艦隊は、東郷平八郎司令長官のもと、出撃命令を受けました。秋山真之の同期である
森山慶三郎少佐は、出撃命令を聞いて涙を流し、日本の存亡をかけた戦いに臨みました。
仁川沖海戦では、日本側がロシア艦隊に対して圧倒的な勝利を収め、士気を高めることに。

◆こんな人におすすめ

歴史好き・日本近代史に興味がある人
明治という激動の時代をリアルに描いており、日清戦争・日露戦争に至る政治・軍事の動きが
具体的かつ緻密に描かれています。「歴史が人間によって動いている」ことを実感できます。

自己成長や挑戦の物語が好きな人
主人公たちは地方出身でありながら、それぞれの分野で努力を重ね、
日本という国を背負って成長していきます。特に秋山真之の知性と戦略、秋山好古の胆力、
正岡子規の文学への執念は、「個の力と情熱」が感じられます。

志ある人間ドラマを読みたい人
明治という時代の若者が国家や時代に翻弄されながらも「何のために生きるか」「どう死ぬか」
を真剣に考え抜く姿には静かな衝撃と余韻が残ります。

◆著者プロフィール

大正12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外国語学校蒙古語科卒業。昭和35年、
「家の城」で第42回直木賞受賞。41年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。
47年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。51年、
日本芸術院完恩賜質。57年、「ひとびとの登音」で読売文学賞受賞。58年、
「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。59年、「街道をゆく南蛮のみち」
で日本文学大賞受賞。62年、「ロシアについて」で読売文学賞受賞。63年、「韃靼疾風録」
で大佛次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受章。日本芸術院会員。著書に
「司馬遼太郎全集」(文藝春秋)ほか多数がある。平成8(1996)年急逝。

◆まとめ

明治日本が直面した国家の危機と、それに立ち向かう人々の姿が描かれています。
秋山兄弟や正岡子規、広瀬武夫といった人物たちの生き様を通じて、
歴史の重みと人間の強さを感じることができる第三巻。