日露戦争の激戦地である旅順要塞の攻防。
203高地の攻略とロシア艦隊の壊滅・・・、戦局が大きく動きだす!

◆あらすじ・内容と読みどころ

203高地の激戦
明治37年(1904年)11月、日本陸軍第三軍は、旅順要塞の中でも最も堅固とされた203高地への
攻撃を開始します。この高地を制圧すれば、旅順港内のロシア艦隊を砲撃できるため、戦局を
有利に進める鍵となっていました。

しかし、正面からの攻撃はロシア軍の激しい抵抗に遭い、多くの死傷者を出します。特に、
斜面には遮蔽物がなく、日本兵は砲弾の雨の中を突撃するしかありませんでした。
ある部隊は地雷と機関銃で全滅し、斜面は日本兵の死体で覆われるほどの惨状となります。

それでも、日本兵は死体に隠れながら匍匐前進し、約500名がロシア軍の歩兵陣地に突入。
激しい白兵戦の末、陣地を奪取し、203高地の山頂を目指します。

児玉源太郎の登場と戦局の転換
旅順攻略の難航に業を煮やした総参謀長の児玉源太郎は、第三軍の司令官である乃木希典の
指揮を補佐するため、旅順に向かいます。児玉は、砲撃と歩兵の突撃を同時に行うという従来
の砲科の常識を覆す戦術を導入。これにより、203高地の一角を占拠し、旅順港内のロシア
艦隊を砲撃できる位置を確保します。

児玉の指導のもと、観測班が有線電話を使って砲撃の精度を高め、旅順港のロシア艦隊に
対する砲撃が開始されます。この砲撃により、ロシア艦隊は壊滅的な打撃を受け、
旅順要塞の戦略的価値が失われます。

旅順要塞の陥落と人間ドラマ
203高地の陥落により、旅順要塞の防御は崩壊し、ロシア軍は降伏を申し入れます。戦闘終了後、
両軍の兵士たちは敵味方の垣根を越えて抱き合い、酒を酌み交わすなど、戦争の悲惨さと
人間の本質を浮き彫りにする場面が描かれます。

また、ロシア軍の指揮官であるステッセル将軍やクロパトキン将軍の精神的な弱さが、
戦局に影響を与えたことも描かれています。日本軍は、敵の弱点を突くことで戦局を
有利に進めることができました。

バルチック艦隊の航海と次巻への布石
終盤では、ロシアのバルチック艦隊がヨーロッパから東洋に向けて出航する様子が描かれます。
この艦隊が日本近海に到達すれば、戦局は再び緊迫することになります。

◆こんな人におすすめ

歴史好き・日本近代史に興味がある人
明治という激動の時代をリアルに描いており、日清戦争・日露戦争に至る政治・軍事の動きが
具体的かつ緻密に描かれています。「歴史が人間によって動いている」ことを実感できます。

自己成長や挑戦の物語が好きな人
主人公たちは地方出身でありながら、それぞれの分野で努力を重ね、
日本という国を背負って成長していきます。特に秋山真之の知性と戦略、秋山好古の胆力は
「個の力と情熱」が感じられます。

志ある人間ドラマを読みたい人
明治という時代の若者が国家や時代に翻弄されながらも「何のために生きるか」「どう死ぬか」
を真剣に考え抜く姿には静かな衝撃と余韻が残ります。

◆著者プロフィール

大正12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外国語学校蒙古語科卒業。昭和35年、
「家の城」で第42回直木賞受賞。41年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池
寛賞受賞。47年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。
51年、日本芸術院完恩賜質。57年、「ひとびとの登音」で読売文学賞受賞。58年、
「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。59年、「街道をゆく南蛮のみち」
で日本文学大賞受賞。62年、「ロシアについて」で読売文学賞受賞。63年、「韃靼
疾風録」で大佛次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受章。
日本芸術院会員。著書に「司馬遼太郎全集」(文藝春秋)ほか多数がある。
平成8(1996)年急逝。

◆まとめ

『坂の上の雲』第5巻は、日露戦争の転換点となる旅順要塞の攻防を中心に、
戦争の悲惨さと人間の本質を描いた作品。戦争の戦術や指揮官たちの決断、
兵士たちの奮闘など、読み応えたっぷり!!