●あらすじ
長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。活発で切れながの眼の美しい少女が想いを寄せた清吉は、信仰を禁じられていた基督教の言者だった••・・・・。激動の嵐が吹きあれる幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者にひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追求する。引用先:文庫本裏表紙より
●感想とこの本のおすすめどころ
・小説の書き出しがおもしろい
小説にはあまりない前書きのような文書で始まり、いつの間には自然と話に引き込まれてしまいました。
作者はまず-、この小説に登場する二人の娘を御紹介しておかねばならない。彼女たちの名はミツとキク。ひとつ違いの従姉妹である。名字がないのは、二人が生まれたのが幕末で、家はそれぞれ長崎に隣接する浦上村馬込郷の農家だったからだ。
・ミツと清吉の純愛に感動
ミツが好きになった清吉は隠れキリシタン。周りの村からはクロとよばれ犯罪者扱い。清吉が切支丹と知ったミツは大きなショックを受ける。当時キリスト教は禁教で切支丹と名のるだけで重罪で、どんなにミツが切支丹をやめてくれと懇願しても、清吉はどんな仕置きを受けることになっても切支丹をやめることはできないという。今なら自分の恋人が実はドロボーだったことが分かって、やめてといってもやめるつもりはないと言われたようなものだろう。ミツは清吉への思いは薄れることなくずーっと強くなり続けるのである。
・切支丹百姓 リーダー各仙右衛門の信仰とそこからくる人間の強さに感動
切支丹百姓たちを投獄し棄教させようとしたときは説得してだめなら拷問にかけて痛い目に合わせれば棄教すると高をくくっていた。しかし、リーダ各の仙右衛門はたとえ生身の身体を痛めつけられても、心を失うことに比べたら何でもないという。取り調べに当たった本藤はどんな威嚇にも懇願にも気持ちを変えない。のみならず、尋問に対しては百姓とは思えない態度で堂々と答え、その答えはきわめて明快だった。その言葉に本藤は言いようのない感動をおぼえた。信仰というのは人間をそこまで強くするのか‥‥と
・本藤舜太郎と伊藤清左衛門、二人の幕末下級武士の維新後の姿が対照的に描かれているところも読みどころ
幕末には長崎奉行所に下級武士としていた二人。時代は倒幕に流れが向いていた。その時「幕府が倒れれば武士はなくなる」このことを理解し武士がなくなった世界でどう生きていくのか考えていた本藤舜太郎と考えがなかった伊藤清左衛門はのちに大きな開きがでてしまう。
・津和野
浦上切支丹のうち28人が流罪となった津和野。28人は寺に入れられたが、間もなく冬がやってくると畳をとりあげられ、布団も与えられず、食事も1日3合の米のみ。28人のうち8人は寒さと飢えに耐え兼ねて棄教してしまう。
切支丹弾圧の壮絶な歴史。人はここまでむごくなれるのか。戦争も人を狂わせ人が人を殺すざるを得ないようなところへ追い込まれる事もあるが、切支丹を棄教させるために行われた拷問の壮絶さは想像を絶する。最後は女子供にも容赦がなかった。しかし、彼らにとっては飢えや、寒さ、拷問の痛みと棄教する苦しみには大きな差はなかったのかもしれない。
●この本をおすすめする人
明治維新が好きな人。尊王攘夷や薩長でもない、大政奉還でもない、西南戦争でもないがこれらと同じ時代に日本で起こっていたもう一つの史実がモデルになっている読み応えのある小説です。
●著者プロフィール
東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬」『沈黙」『イエスの生涯」「侍」『スキャンダル」等。’95(平成7)年、文化勲章受章。’96年、病没。引用:文庫本カバーより
●まとめ
ミツは切支丹ではありませんでした。たまたま愛した人が切支丹であって、たまたまキクが生きた時代が日本史上キリシタンにとって最も過酷な一時代であっただけのことかもしれません。ミツは清吉への愛を貫き通しました。しかし清吉への愛を貫くことが、逆にミツを苦しめることにもなりました。このような過酷な時代を経て今の日本があると思うと現代がどれだけ幸せの選択肢が多い時代であることを認めざるを得ません。ミツは切支丹ではありませんでしたが、清吉を愛し続けたミツの一生は聖女のようでした。